沖縄にも京都にも米軍基地はいらない!

京都の地から沖縄・名護(辺野古)新基地建設反対の運動に連帯する運動を創出するためのブログです。

【注目記事:ダイヤモンド・オンライン】稲嶺進・名護市長独占インタビュー【前編】 「沖縄はもう基地の恩恵を受けてはいない」

稲嶺進名護市長独占インタビュー【前編】
「沖縄はもう基地の恩恵を受けてはいない」
http://diamond.jp/articles/-/50764

 

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「沖縄は基地経済で飯を食っている、というのは誤解だ」と語る稲嶺進名護市
Photo by Toshiaki Usami

 

なぜ沖縄ばかりが基地問題に苦しまなければならないのか――。

 

1月に行われた名護市長選挙では、有権者数4万6500余人、投票率76.7%で、稲嶺進氏が1万9839票、末松氏1万5684票を獲得。普天間基地の「辺野古移設阻止」を掲げた稲嶺進市長が末松氏に4000票余りの大差をつけて勝利し、名護市の民意は明らかとなった。しかし、昨年末に仲井真弘多沖縄県知事が基地建設のための辺野古埋め立て申請を承認。その後の名護市長選挙を受けても、政府の菅義偉官房長官は、「(埋め立ての)権限は沖縄県にあり、知事の承認をいただいているので、地元の理解を得ながら淡々と進めていきたい」と述べるなど、名護市民が示した民意が反映される気配はない。そうした危機的状況にあるなかで、稲嶺進名護市長はこれからどのように辺野古移設阻止に立ち向かっていくのか。独占インタビューを前後編2回にわたり掲載する。

 

前編は、改めて普天間基地問題とは何かを問う。なぜなら、沖縄県民以外の国民は実は沖縄が抱える基地問題に関して、実は知識も少なく、無関心でさえあるからだ。そこでまず、「沖縄は基地の経済的恩恵を受けてきたはずなのに、なぜこれほどまで反対するのか」という素朴な疑問をぶつけてみた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長原英次郎)

 

なぜ普天間基地問題は起きたか
選挙は「辺野古移設」が明確な争点だった

 

――(沖縄を除く)本土の国民は、なぜ沖縄が基地問題でこれほどまでに緊迫し、もめるのか、歴史的背景も含めた事情に理解も関心も薄い部分があります。そこでまず、今回の基地問題の経過を簡単にお教えいただけますか。

 

米軍基地問題の歴史は長いのですが、1990年代から説明すれば、90年代半ばに、基地問題がクローズアップされる事件がありました。それが、1995年に海兵隊員3名が小学生の女の子を拉致した「沖縄米兵少女暴行事件」です。その後、大規模な県民大会が開かれ、当時県の大田昌秀知事は「守ってあげられなくてごめんなさい」という言葉を残しました。

 

この事件をきっかけに普天間飛行場は、いろいろな点で“世界一危険な飛行場”だと言われるようになりますが、96年に当時の首相と駐日大使との間で橋本・モンデール会談が開かれ、普天間基地が5年ないし7年の間に返還される事になりました。これこそ、普天間問題が表にあらわれた始まりです。

 

しかし、普天間閉鎖の代わりに基地の県内移設が条件になり、97年に名護市辺野古沖に海上ヘリポートを造るという日米合意がなされたのを受け、名護市民投票が行われ52%が反対と多数を占めました。

 

それにもかかわらず当時の比嘉鉄也・名護市長は移設に向けた調査を受け入れたのですが、調査実施に対して市民の反対運動が起き、比嘉市長は「受け入れ」を表明し、同時に自ら辞任する事態となりました。それから選挙では「辺野古移設」が争点となっています。

 

1月の市長選は移設問題が争点となった5回目の選挙でしたが、今回はこれまでと異なる点がありました。それは、辺野古移設への賛成・反対が、はっきりした争点として浮かび上がったことです。これまでは、「条件付き容認、知事の判断に委ねる」という形で移設を主張してこないのが相手候補のスタンスだったものの、今回は「積極的推進」という立場を相手は明確にしていた。その意味で、先日の市長選は市民投票的な意味合いを持つ選挙であり、その結果は名護市民の民意といえます。

 

「基地は恩恵をもたらした」は過去
国、基地への経済的依存は低下

 

――名護市民の民意は「移設反対」ですが、その一方本土では、沖縄は基地を抱えることによって、経済的な恩恵を受けてきたという見方もあります。

 

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いなみね・すすむ
沖縄県名護市長。昭和46年琉球大学法文学部卒業。名護市役所採用の後、企画部企画調整課長、総務部長、平成14年から名護市収入役、平成16年から同教育長を歴任。平成22年「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」を公約に掲げ名護市長に当選。昨年12月に沖縄県知事が辺野古埋立を承認する中、1月19日に行われた同市長選挙では「すべては子どもたちの未来のためにすべては未来の名護市のために」の公約を掲げ、基地推進派との一騎打ちを制し4000票以上の大差をつけて再選。趣味はマラソン。完走は16回を誇る。
Photo by T.U.


それについては、やはり誤解を解かなければいけない。沖縄は基地経済で飯を食っている、それが無くなったら本当は困るんじゃないかとこれまでもよく言われてきました。ですが、実はそうではないことを地元新聞である琉球新報の『【連載】国依存の「誤解」を解く』のなかで明治大学の池宮城秀正教授も説いています。これによると、都道府県の歳入(収入)は自主財源と国からの依存財源に分けられますが、沖縄県の1人当たりの依存財源は31.5万円の全国18位(2011年度)で、類似県平均の41.2万円を下回っており、何も沖縄が全国で突出した依存構造ではありません(※編集部注:類似県とは財政力指数0.3未満の県で、島根、高知、鳥取、秋田、沖縄、鹿児島、徳島、長崎、岩手の9県)。

 

今回の市長選前の年末、政府は昨年より400億円多い交付金3400億円を提示し、県知事は「驚くべき立派な内容を提示していただいた」と言いましたが、決して突出した金額ではありません。今回、前年度より400億円増額されたのは、実は那覇空港の第2滑走路を作るための予算と沖縄科学技術大学院大学の予算が含まれているから。本来ならこれは国の別立ての予算になるべきものです。それを一括交付金に上積みをして、今回はたくさん出したという数字のマジックに過ぎません。

 

しかも、大田知事時代は4100億円を超えたことがありますから、当時からすると700億円も減額されています。そうした事実も踏まえれば、何も今の沖縄県が国の財政投入という意味で恩恵を受けているわけではありません。

 

また県内GDPは、確かに復帰当初はまだ貧しい状況がある中で、基地経済が全体の約15%を占めていました。しかし現在では観光産業がリーディング産業となり、基地関連収入はもう5%まで落ちてきている。この事からも基地がなくなったら生活ができないのではないか、というのは誤った情報です。

 

――国土面積に占める割合が0.6%の沖縄に、日本にある米軍専用施設の約74%が存在し、沖縄本島では面積の18%を米軍基地が占めています。沖縄はこれまでどのような負担、被害をこうむってきたのですか。

 

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普天間が“世界一危険”であれば即閉鎖すべき」
Photo by T.U.


1972年の復帰後だけで米軍機の墜落が45件、2013年度だけでもF15戦闘機の墜落とヘリコプターの墜落の2件が起きています。飛行機事故以外には、米兵らが基地外で起こす交通事故、暴行事件や窃盗事件が起きており、米軍基地が置かれている日本の他地域に比べても発生率、発生件数は比較にならないほど多いんですね。

 

しかも米軍関係者が基地の外で起こした事件についても、米軍の日本における地位を定めた日米地位協定によって日本、沖縄の警察権と裁判権が及びません。事件が発生しても現行犯で捕まらず、すぐ基地の中に逃げてしまえば、手が出せないんです。そして結局、起訴もされず罰則も受けず、沖縄の被害を受けた人は泣き寝入りした事例はたくさんあります。こうした事件・事故は本当に沖縄の人間の人権蹂躙と言っても過言ではない。そういう状況に我々は戦後68年間も置かれてきました。

 

ですから今回の辺野古への基地移設についても、本来は普天間が“世界一危険”であれば即閉鎖すべきものです。辺野古に移せばこれまでの危険が平行移動するだけ。しかも今回は並行移動だけでなく、基地の機能強化、すなわち弾薬搭載エリア、揚陸艦が接岸できる軍港に近い護岸、V字の滑走路の整備が予定されています。これらを考えますと、機能を強化した新しい基地ができるに等しいんです。

 

68年間の負担や苦しみを沖縄の人間に、さらにしわ寄せするのは不条理であるし、これ以上、許されるものではない。ですから、私も名護市民も絶対に移設は受け入れられません。

 

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パンフレット「米軍基地のこと 辺野古移設のこと」より(名護市提供)

 

一次産業と観光で「六次産業」化
自立できる経済の循環を目指す

 

――先ほど、基地がなくても沖縄の経済は成り立つと話されました。では、自立していくために、どのような方策をお考えでしょうか。

 

かつて米軍軍用地のあった那覇新都心や沖縄の中部に位置する北谷(ちゃたん)町の商業地は、今や返還前の何十倍、何百倍という経済効果を出しています。

 

例えば、ある米軍キャンプで働いている日本人従業員は200名ちょっとに過ぎませんが、その一方、沖縄でホテル業を営む「かりゆしグループ」では関連業全体で2000名が働いています。雇用の吸収力は比べものになりません。

 

また、観光がリーディング産業である沖縄にとって、基地が持っている悪いイメージは非常に大きなダメージです。オスプレイが上空を飛び交っていくと、癒しや休息を求めてくる観光客のみなさんが「もう二度とこんなとこ来るものか」と思うかもしれません。実際、2001年アフガン紛争では、米軍基地が狙われるかもしれないということで、沖縄を訪れる観光客が急減しました。そういう意味でも、今回の移設は観光に対する沖縄のダメージになると思っています。

 

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「名護に21世紀型のライフスタイルがアレンジできるまちにしていきたい」
Photo by T.U.


現在、沖縄の観光客は600万人で、仲井真知事は目標1000万人を掲げていますが、この1000万人の観光客の受け皿は、沖縄本島で言えば北部であり、本島の南に位置する宮古島八重山諸島という沖縄らしい自然が残っている場所になります。だから私は、一次産業と観光を結びつける「六次産業」に力を入れて取り組むことで、新しい産業、仕事が生まれてくると思っています。

 

実は名護市は農業生産高が90億円を超えた時期がありました。今は60億円に減っていますが、遊休地活用などによってその30億円を取り戻すだけですごく大きな効果があります。しかもそれらは自ら汗して稼いだお金で、直接的に還元されるものですので、基地負担を受け入れることで得られる米軍再編交付金とは全然違うものです。

 

 

また、名護は前面に海があり、すぐ後ろには山もある。そして街はコンパクトで、ある程度まとまっているため、他の地域にない特徴を持っているまちだと考えています。そこで今、名護市で21世紀型のライフステージを実現できるようにすべく、都市ブランディングを構想中です。今までの開発型のリゾートではなくて、今あるものを生かしながら21世紀型のライフスタイルをアレンジできるまちを作っていきたい。それこそが長続きする経済の循環につながっていくのではないかと思っています。時間はかかると思いますが、自ら立ち上がり、軸足を定めて、行政と市民が共同する形を作り上げていきたい。